熱いのを
遂に寒くなってきた
コーヒーが好きで
飽き性の割に、それだけはほぼ欠かさず飲む生活が続いている
しばらく楽をしていて夏は水出しコーヒー
更に手抜きをしだしてパック入りのコーヒーに頼っていたのだけど
もうだめだ、熱いのを欲する 季節がやってきた
お湯を沸かしている間に
ミルで豆を挽いていると
かい十(3歳)が近寄ってきてボタン押させろと言う
フィルターをセットして粉を セット
カップに湯を張り温めておく
粉全体に湯を優しく静かに注いで一息置く
湯気とともに沸き立つ香りをそっと吸いこみ
更に丁寧に注ぎ続ける
モコモコとアクが湧き上がって来たらば
私は密かに心の中でガッツポーズをする
この瞬間が一番の快感である
かい十はポタポタと落ちるコーヒーを楽しそうに眺めている
久しぶりのドリップだけど
自己流の手順を、案外、体は覚えていた
自分で淹れるコーヒーは嬉しい美味しい
無心になれる時間だ
体に必要なこと
夏の終わりから体調がガクンと崩れていた
幸いにもすぐに病名が判明したのだが
甲状腺という喉の付近にある器官が異常に頑張り過ぎているのと、見た感じ大きそうな腫瘍的なものが2つある疑惑を抱えている
甲状腺というものの存在を意識したことはなかったのだけど
喉のあたりがやられてしまったのは
そうだよなぁと妙に納得もしている
生きていれば誰でも
感情を押さえ込んだり
心にもない事を言ってしまったり
自分で自分を責めたり
そういう時もあるわけで
それが人一倍強い時期、
自分自身にそうゆう事をするたびに
首がきゅーーーっと締め付けられる感覚とともに
言葉を出そうとしても出てこなかったものだ
ぎゅーーーっと締め付けられる感覚は
甲状腺にストレスを溜め込んでいたのだなぁと妙に納得している
私の場合で言う甲状腺の病気は
自己免疫疾患であり、まさに自分で自分を攻撃しているw
高3の秋、初恋に落ちた頃、自分を素直に表現していく練習が必要だなぁと漠然と思っていた
今思えばその感覚は間違ってはいなかったのかもしれない
しかし直感を疎かにしてしまったなぁというところで
病は気から、という言葉をしみじみ感じ入る今日この頃である
そして私の心と体はこんなにも単純な相互関係なのだなぁと笑えてくる
今は1人きりで心を鷲掴みにしてくる音楽をヘッドフォンで聴き
言葉のセンスが好きな伊坂幸太郎作品を読み
喋りのプロが集う?ラジオを聴き
とにかく言葉に埋もれまくっている時間が何とも心地良くて癒されいる
調子が出ないときは無理に頑張ろうとせず、うずくまって、ひきこもって、たおれこんで、死んだふりして、ひっくりかえって、どん底じゃ、明けない夜はないのじゃ、と呟きながら、じっと気力が回復するのを待ちます。待ちましょう。焦らず待ってください。おやすみ、日本。よく生きました。また、明日。
— 辻仁成 (@TsujiHitonari) 2016年11月7日
今はまさに上記のような状態なのだけど
実は
ここに自分の感じている事を
たんたんと、たんたんと、言葉に変換するということも
自分の体にはやはり必要なことのではないかと思い始めている
継続は力なり
マグロちゃん
かい十(3歳)と手を繋いで歩いていると
すれ違う人の視線を感じるんですよね
かい十、そんな可愛いのかぁ
と親バカになりながら
我が子の手を見ると
こんなの握りしめてるんですから
すれ違う人は目を疑ってじっと見ていたのだなぁと気づいたわけです
キハダマグロ、通称マグロちゃん
かい十は服の下に入れお腹を膨らませ
もう少しでマグロちゃん生まれるからね!キリッ
そしてサラッと生まれてきたマグロちゃんとかい十におめでとう〜というと大満足の顔
マグロちゃん、生まれたら人魚じゃね?
生みの苦しみはこんなもんじゃねぇぞ!
なんて夢のない発言はぐっと堪えて
マグロちゃんのお世話をする我が子を観察する今日この頃です