桜のように、高野豆腐
高野どうふ
わたしは普通に食べれるんだけど
どうも男うけは悪い
まぁ箸が進まないのもわからなくもない
なんかスポンジみたいだもの
でも今日の高野豆腐はいつものじゃないっ
ぬるま湯で戻した後に絞って
片栗粉をパタパタして
揚げて
絶妙なだしで煮込んだのよ
できあがりは、片栗粉の仕事でトロっとした餡かけのよう
ちょっと煮込みすぎた気もする
人参は製菓用の☆型で抜いてみたら
微妙に端が切れて
何となく目を細めれば花に見えてきたかも
型抜きの余った部分も
目を閉じて残像を思い浮かべれば葉っぱに見える気がする(レシピ本のは本当に葉っぱみたい)
最後に冷蔵庫にあった水菜を添えたら
わたしの脳内の皿の中に桜の木がうまれた
(レシピ本の写真は桜の木にしかみえない)
料理は焼いて煮て混ぜて…という作業の繰り返しではないのだね
ひとつの工程に意味を感じながら
イメージして、絵を描くように少しずつ描き足していくような感じだろうか?
料理をしていて、今までにない感覚を味わった
料理好きな方が、皿にこだわりたくなる気持ちもわかる気がする
色々思いながらつくった高野豆腐…それを盛りたいお皿、ないな…って思っちゃったから
ヤケクソでミスドの景品でゲットした黄色い皿に、鍋からドバーンと勢いよく盛ってしまった…餡かけが飛び散った…
良い塩梅の皿に高野豆腐を一つずつ盛っていくと綺麗に見える?
時間がある時、いろんな料理の写真をみてイメージを膨らませたい
色々反省して、来週またやってみよう。
味は良くてもレシピ本の様にはいかない。
でも、間違いなく脱スポンジは達成できたと思う。見た目にも嬉しい料理を作れるようになりたい(^^)